未読者参加型について

奥池袋読書会は課題本型の読書会です。
開催期日までに課題本を読んできて参加するのが一般的です。
多くの課題本型読書会がこの定型を踏襲しております。
そしてそれはある意味、当然の帰結であり、いたって普通のことです。ただ普通のことではあるのですが、ある種の前提が隠れているとも言えます。
それは参加者が、「読書できる層」に限られてくるという前提です。その隠れた前提があるため、読書会への参加ができ難い層も生じていたと言えます。

では反対に「読書できない層」とは、どのような方々を指すのか。
大きく二つのケースがあると考えております。
一つ目は小さいお子さんなどのいらっしゃる「子育て世代」。
皆さん、口をそろえて言う。「そんな時間すらない」と。「仕事・家事で忙しすぎて、読書なんて夢のまた夢だ」と。

二つ目は海外出身の方々。一部のビジネスパーソンを除くと、「漢字が苦手で日本語の本が読めない」という方々がかなりいらっしゃる。
せっかく日本に滞在しているのに、本人にとっても私たちにとっても非常にもったいない。

このように、なかなか読書すらできにくい方々が大勢いらっしゃる。
一方で、分かっちゃいるが実現そのものへのハードルが高いということもあり、
今までそういった層へ読書会の方から参加を促せなかった。
つまり見方を変えれば、読書会への参加をアピールできる層は、まだまだ拡大の余地があるとも言い換えることができます。
では、「子育て世代」や「海外出身の方々」へも参加を訴求するにはどうしたらよいか。
そこで出した一つの方向性が、「未読でも参加できる形態の読書会」というものでした。


ここで皆さんは、次のような疑問を感じていることでしょう。
本当に未読でも大丈夫なのか。
参加しても何も発言できないのではないかと。
結論から先に言えば、多少のハードルはあるでしょうが、乗り越えられないことはないと考えております。

そもそも一口に「読んだ」といっても、そこにはいろいろな程度がグラデーションのように存在しています。
例えば、読んだけど理解がイマイチ。
他の本の内容が混ざってきたり、読んだことすら忘れてしまった場合などなどです。

つまり、「読んだ」と「読んでいない」との境界は曖昧であり、その差は意外と小さいのではないかと。
むしろ、課題本をテーマに語り合うという点からみれば、未読の方が既読本にとらわれることなく自由に発想を展開できる余地すらあると。

さらに申し上げれば、読書会は対話のための場であり、対話というのはそれぞれの差異から始まるのではないかと。
そして差異から始まるのであれば、未読者というのは、読書会に新しい光を差し込む可能性を持つ存在なのではないでしょうか。